東京のある街/エリアをテーマとして、人々や街、そこにある文化について掘り
下げていきながら、短編映像を制作するプロジェクト。
下げていきながら、短編映像を制作するプロジェクト。
私たちの住む東京には、どのような記憶があり、これからどのようにしてそれが失われていくのだろうか? あるいは、どのような記憶を蓄積していくのだろうか?
ひとつの「場所」に広がる、ひとつの物語(フィクション)。 上映やトークイベントを含めたリサーチやコミュニケーションを重ねながら、街に潜む言葉に出来ないにおいや気配 を描くオリジナル作品を、新進気鋭の若手作家と共に制作します。制作過程においては、各撮影予定のエリアの人々やスペース等とコラボレーションした企画開発イベントを開催し、そのプロセスを共有、様々な意見交換をしながら進めます。
最新情報は▶︎ https://www.facebook.com/HappyTentJapan
プロジェクト参加作家
これまでのTKY2015(関連記事一覧)
日本映画の現状を巡って-作り手から観客まで(text by : 結城秀勇)
2014年の邦画劇場公開本数は615本。戦後最大の本数である。
1950年代から60年代の頭にかけて、日本映画産業は第二の黄金時代を迎えていた。映画会社は一流大学を出た若者たちの就職したい業種の筆頭であり、映画館の年間入場者数は10億人を超えた。つまり単純に計算して老若男女を問わずすべての国民が年間10本以上映画を見に行っていたことになる、そんな時代。そうした時代につくられた邦画の年間公開本数547本(1960年)という記録が、2012年の554本で破られ、その数はさらに上昇を続けている。それを単純に現在の日本映画の活況を示していると喜べばいいのだろうか。
そんなわけにはいかないことは、少し考えてみれば、あるいは日常的に映画館に足を運んでさえみればよくわかる。1960年と比較すれば、2014年におけるスクリーン数は半分以下、入場者数は1/6以下に減っている。映画を上映する場所が増え、映画を見る人が増え、その上で公開される邦画の数が増えているのではないのだ。作品をかける場所も、それを見る者も減っているのに、上映される作品数だけが増えているのだ。
いったいなぜそんなことになっているのか。
1950年代から60年代の頭にかけて、日本映画産業は第二の黄金時代を迎えていた。映画会社は一流大学を出た若者たちの就職したい業種の筆頭であり、映画館の年間入場者数は10億人を超えた。つまり単純に計算して老若男女を問わずすべての国民が年間10本以上映画を見に行っていたことになる、そんな時代。そうした時代につくられた邦画の年間公開本数547本(1960年)という記録が、2012年の554本で破られ、その数はさらに上昇を続けている。それを単純に現在の日本映画の活況を示していると喜べばいいのだろうか。
そんなわけにはいかないことは、少し考えてみれば、あるいは日常的に映画館に足を運んでさえみればよくわかる。1960年と比較すれば、2014年におけるスクリーン数は半分以下、入場者数は1/6以下に減っている。映画を上映する場所が増え、映画を見る人が増え、その上で公開される邦画の数が増えているのではないのだ。作品をかける場所も、それを見る者も減っているのに、上映される作品数だけが増えているのだ。
いったいなぜそんなことになっているのか。